ちょっと真面目に見えるお話
これを簡潔に即説明できますか?
日本の政治・法律・司法その他あらゆるものの方針でもある「立憲主義」言葉として知っている人は多くとも即、説明は難しい気がする。
実は私は出来なかった。
それからもう一度調べて今は出来るけれど。
まぁすっごく砕いて言うと
「憲法のもとで国は動くんだよー」
って事になるとおもう。砕きすぎてる気もするけど、法律的即目で言えば憲法に違反する法律は違憲として存在できない(作れない)。全ての法律が憲法に反してはいけないということで、法律の法律みたいな意味もある。
法律を専門的に学んだ人なら当たり前だろうけど、刑法の中の違法行為が憲法でその法自体の違憲が絡んだ場合、優先されるのは憲法である。
そして法学とは実は解釈と判例を学ぶことなのだ。
なにせ日本国憲法は改変されることなく現存する憲法では一番長い。
そのうち1世紀すぎるだろうレベルで改正されてない。
改正が難しい理由もそれが憲法によって決められているからだったりもする…のかな?
日本国憲法が成立したのは正確な年、日付を知らなくてもいつどんな状態の日本でかは日本人ならばすぐに思い浮かぶんじゃないだろうか。
そして草案を含め制定される過程で日本人以外が関与していたことも。
それ自体を議論する事もあるが、現在も改正されず日本国憲法の元の立憲主義を日本はとり続けている。
それが出来た理由は憲法の改正が憲法で難しいのと、憲法で定められた範囲が少ない事もあるのかな?
近代化が進み憲法の改正を必要とせずに、新たな法律や民法、刑法、行政法の改正(してたと思ってるけどしてないかな?してるのは刑法は確かだと思うけど)で対応できたからでもある。
さて、民法はいま漢字と平仮名の現代文らしい。
びっくり。10数年前まで漢字とカタカナの読みづらい法律だった気がする。
ともかくその民法すら10年前の当時から解釈を必要としてたのだ。
裁判では重要なことである。
最高裁の判例が実はすごく裁判では需要だと知ってるのはどのくらいだろう。
判決が判例と食い違う事が上告の条件になるレベルである。
それはさておき改正を重ねただろう民法すら解釈を必要として学者が討論を続けてるという事は憲法においてそうなうなるのは当然とも言える。
憲法で違憲となれば民法なり刑法なりその条文はあってはいけないのだ。
さてさて最近、ネットでみる人権という言葉。
人権とはきっと基本権、基本的人権をさすと思うんだが、これは憲法の中核をなすものと同時に他の柱とも言える平等主義、自由主義との密接な関係を持って、むしろそれなくしては存在しないのかもしれない。(確かなことはきっと偉い人が決めてくれる)
そして平等というのはこの国では「法の下の平等」であり、自由主義は国家権力が主権者たる国民の権利をおかしてはならないためでもある。民主主義の基盤ともいえるのかな?
どちらにしろ
「日本国憲法は、「個人の尊厳」の原理(13条)の達成を目的とする とするのが憲法学の通説ないし定説である。」wikipediaより
通説と定説の違いについては置いていこう。うん。
13条とは
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
であってたと思う。
さてさてその中で義務教育で時代によって変わるかもしれないが「国民主権」「基本的な人権の尊重」「平和主義」が憲法の三本柱的な授業を受けた記憶があるようなないような。
この三つがどうして大事なのか、国民主権の民主主義で基本的人権は必要不可欠でもある、そう民主主義なのだ。
(平和主義あたりは今回はスルー)
そして資本主義でもあるだろう、日本。
法の下の平等は民主主義、資本主義を持つこの国で生活の平等を指すことではないと思う。(ってか法学界ではそうだろう)
機会、チャンスの平等に当たるものだろう。
じゃなければ生活水準を平等にしなければならなくなり資本主義はなりたたないだろう。
なので働いて得た収入で生活水準に差が出るのは法の下の平等において、または自由主義においても民主主義の為の自由主義だ。主権者たる国民が自由でないのは変だろう。
雇用法とかで賃金の支払いや、納税などの側面の法律も定められているが、憲法はどの法律よりも強いのだ。
しかしこうやって人権の意義を考えると、国家権力に対しての人権な感じしません?
んで裁判にも種類がある事は知っていると思うが、裁判の種類の違いをきちんと把握してる人が少ないようにも思えるこの頃。
刑事事件の罰金が遺族に渡ると思っている人がいたことでそうなのかも…と思ったのだ。
刑事裁判と民事裁判は別物であるという認識はあまり浸透してないようだ、と。
まず前提が違う、刑事事件は、刑法と刑事訴訟法を用いて、疑わしきは罰せずを基本にしている。(実際のところは闇がちらちらしてるとの噂もあるが)
刑事事件において、重い判決が下るだろう事件では国が弁護人をつけなければならない決まりがあるのだ。お金がなくてもついてくれるわけだ。
そして基本的に(闇はちらはスルー)犯罪を立証するのは検察官の仕事であり、無罪を証明する義務はない。犯人だ!って証拠が検察官が用意できない時は怪しけど有罪になんないよって事が基本に(闇ちらはスルーry)なっている。
民事裁判は原告側の申請で裁判が始まります。こちらに刑法などは持ち込まれることは多分ないでしょう。(ないよね?あったらやばよこの国)
ちなみに民事裁判に被告側が欠席をする事もできたはず、でも答弁書などなにもせず知らん、ってすると負けます。民事裁判は被告側が原告の内容は間違えてると証拠を出さないと原告が有利という勝つでしょう。
もちろん弁護士は自己判断。国はつけてはくれません。
負けると裁判の諸経費を払う義務まであります。
そして民事裁判で敗訴したとしても「前科」はつきません。
もちろん刑事事件も並列で行われるケースもあり、刑事裁判で「有罪」になれば「前科」というものがつくでしょう。
とここまで言ってもピンと来ない人が多いと思うのが、民事裁判は個人の争いを個人間で収められない時に裁判所が判断する裁判だ、という前提がすっぽり抜けてる主張を見かけるからです。
著作権まわりのお話を見てると混同してる感がひどいので気になったんだ・・・それだけ・・・
つまり他人の著作権をおかすってことはその人の財産を奪ったもしくは、その人が得るはずの財産を勝手にもらったとか、そういう事だと思うんだけど。
ちなみに企業相手に個人が訴えられた場合、示談や略式裁判(だっけ?)、和解を取るケースが多いのは、企業Vs個人だと「金銭的」に初めから負けているからだろうなぁと思う。
大抵の企業、特に裁判が絡む事業は会社で弁護士さんを雇ってる、裁判にまで持ち込む時は既に証拠になり得る物証や状況を持っている。その費用は企業なので個人的な財産とどうしても差はでる。
さて訴えられた個人がそこから自分の主張を通すためにしなくてはいけない事は時間、金額すべて膨大だ。例え勝っても弁護士費用は訴訟金にはならない。赤字は目に見えている。
損害賠償の裁判なら、賠償金の方が安くなったりもありえるかも知れない。
そこまでして裁判で勝つ理由がない場合、どっちを選択するかはそれこそ個人の自由だろう。
家族間の離婚、親権など一部外はほぼお金で解決、が民事裁判だ。当然賠償金は原告が勝てば原告に渡る。
例え裁判に勝てるとしても裁判・・・お金かかる。
時間も取られる。出廷も答弁書もださないと原告のほぼ一人勝ち判決になる。
損害賠償で勝ったとしよう、でも原告の主張は無効とされて払わなくてもいい事になる。
敗訴側である原告がいくら諸経費を払ってくれても、その中に含まれないものは自腹だ当然。
勝てるだけの証拠があろうと相手が無茶ぶりだろうと、裁判はお金と時間が結構かかる。
はじめからいちゃもんなら、刑事事件に切り替える方が得策じゃないかと思うくらいとにかく金いる。
民事裁判はともかく金が掛かるのだ。
企業の資金と個人資産で個人資産が上な人がどのくらいいるだろう。
借金までして勝っても賠償責任はなくなってもかかった金は相当なものになるんだ。
嫌な言い方だと思うけど金がものを言う裁判じゃないかな。
もちろん焦点が違う時もあるだろう、尊厳のための裁判は金がかかっても勝ちたいだろう。
ぶっちゃけ訴えられる覚えはにが、企業に裁判ふっかけられたら勝てる気は私はしないっす。
あとグレーゾーンという言葉を法律周りで聞くんだけれど意味が分からない。
えらいひと教えて。
訴えられないから今のところ大丈夫、ってのを指すなら確信犯で他人の権利を強奪してる事になると思うんだけど。それはおkなのか?
民事ならまぁ・・・私はしないがありでも刑事裁判になる場合のグレーゾーンってどんなことだろう・・・・・・。怖いからこれは聞きたくない。
少なくとも刑法に違反してると自覚してそれをし続ける程私は強くないな・・・・・・。
一見真面目で頭の良さそうな記事にしてみたけど、記憶の中の法律で書いたものなのでソースは「俺」。
なのででたらめなのかもしれないね!
でも法律に対して発言するなら民事裁判の敗訴が有罪とか刑事裁判の罰金は被害者にいくってのはあんまり言わない方がいいと思うよ!
他の話がどれだけ説得力あってもそんな事が主張の中にあれば一気に説得力なくなるから。